未信者との交際 『Missionary Dating』

 ミッションナリー・デーティングについて。
クリスチャンがノンクリスチャンと交際し、相手をキリスト教に導くことを
目的とする交際スタイルを指します。
聖書が『つり合わないくびきを負うな。』(2コリント 6:14)と言っているので、
相手がクリスチャンになれば安心して結婚できるという動機で、相手をキリスト教に導こうとすることです。

 『GotQuestion』のサイトから参照
https://www.gotquestions.org/missionary-dating.html

“Missionary Dating” とは、クリスチャンがノンクリスチャンと交際し、その人をキリスト信仰に導くことを目的とするという現代的な考え方です。
神はそのような関係も伝道のために用いることができるが、聖書は私たちの最も重要な関係は信仰者同士であるべきだと述べています。

“Missionary Dating” を聖書の観点から評価する際に問題となるのは、聖書の時代には交際が広く行われていなかったことである。
ほとんどの結婚は見合い結婚であった。しかし、今日、交際はしばしば結婚に至る「道筋」と見なされているので、結婚に関する聖書の原則は、結婚の前段階である交際に適用することができます。

 聖書は、信者と未信者の結婚を禁じています。
第一コリント7:39でパウロは、やもめは “誰と結婚しても自由であるが、
その相手は主に属する者でなければならない “と言っている。
彼女の配偶者が「主に属する」というパウロの規定は、クリスチャンはクリスチャンと結婚せよという明確な指示である。
そして、すべての罪がイエス・キリストの十字架の贖いによって赦された新約の時代では、私たちは規定で生きているのではありません。
私たちは神の恵みの中で、いかに神を喜ばせようか、神の計画を成就して行こうかと神の恵みの中を歩んでいるのです。

 パウロは、こう書いています。『義と悪とに何の共通点がるでしょうか。』
『また、光が闇とどんな交わりを持つことができましょうか。』(2コリント6:14)。
ここでの原則は、不信者と親しく付き合うことで、わたしたちの信仰基盤が揺るがされるということです。未信者と恋愛関係になることは、霊的なトラブルを招き、実際的な不都合も生みます。それは必ずしも人生がうまく行かなくなるということではありません。(うま行く、行かないは既にこの世の価値観です。)

 惑わされてはいけません。悪い交際は良い習慣を損なう」のです。
(1コリント15:33)。未信者の関心は『どうすれば人生がうまく行くか』であり、クリスチャンの一番の関心は、『どうすれば神を喜ばせることができるか』と、歩いているところが異なるのです。
相手がクリスチャンになりさえすれば、、という発想自体がすでに神を知らない世界の思考です。

 クリスチャンがノンクリスチャンとデートし、そのノンクリスチャンがイエスを信じるようになった場合はどうでしょうか?
私たちはもちろんその回心について主を賛美します。しかし、それは主の憐れみであってその “Missionary Dating” の陰で多くのそうはならなかった人たちがいて、その回心例をもってこれを聖書的に実践することを促すものである証明にはなりません。

 実のところ、クリスチャンが自分の信仰を失いそうになっり、信念を曲げたりした “Missionary Dating” は、誰かがキリストに導かれたケースよりもはるかに多いのです。そう言う意味で、”Missionary Dating”には依然として問題が残ります。
聖書は、クリスチャンはクリスチャンとしか付き合うべきではないと示しています。これは規定というのではなく、救われた者を用いてわざを進める神の愛の命令です。

                    カルバリーチャペル西東京
                        牧師 山東克己